5月号 『寝ても覚めても稽古の日々。』

【寝ても覚めても稽古の日々。】

 

みなさんこんにちは。
なんだか寒暖差も激しい毎日、お元気にお過ごしですか?
僕らゴツプロ!は絶賛稽古中です。
いよいよ本番まで一週間を切りました。
早いですね。
この前顔合わせだった気がするけど…

(2024年5月2日(木)顔合わせ&読み合わせ。)

 

 

ていうか、この前ビジュアル撮影だった気がするけど…

(2024年1月7日(日)ビジュアル撮影)

 

 

月日は流れるね(汗)
稽古も残り数回です。

 

今月はじめまずは顔合わせ。
毎度緊張しますね。何度やっても慣れません。
お初の共演者の方もいましたし、演出の青山さんも演出家としてご一緒するのは初めてだったので。
でも、やっぱり最初の本読みは痺れる。
活字で読んでいたものに、初めて命が吹き込まれ一気に立ち上がっていく様はなんとも壮観です。
そこから今回は一週間ほどがっつり本読みをやりました。
本読みをじっくりやる演出家さんもいれば、いきなり立ち稽古にはいる演出家さんもいます。
青山さんは前者で、本読みをしっかりやることで、ストーリーの流れ、自分のセリフが誰にかかっていて、どういう意味合いを持っているのか?がはっきりと見えてくる。
これは立ち稽古に入ったときにものすごく助けになります。

 

今回、『劇団道学先生』の座付き作家であった中島淳彦作品をやることになったきっかけについては前月号でも書きましたが、もう少し掘り下げます。
当時、今から20年近く前ですかね、メンバーの44北川氏が自ら演劇ユニットを立ち上げプロデュース公演をやっていました。
そのユニットで、ぼくらメンバーはほぼほぼ出逢っています。
そして、そのきっかけとなった作品が、中島さんの『フツーの生活』戦中・戦後3部作です。
この作品は44さんがそれまで面識もなかった中島さんに懇願して描き下ろしてもらった作品です。
2003年 戦後の宮崎でのフツーの生活
2004年 沖縄戦線最後のガマでのフツーの生活。
2005年 原爆投下前10日間の長崎のフツーの生活。
初演は自分客席から見ておりまして。
ここに出演していたのが、主宰の塚原大助と佐藤正和。
とにかく羨ましかったのを覚えています。
もちろん悲しみがつきまとう作品なのですが、それでも笑いがあり、人が人を想い、滑稽でバカバカしくて、泣けてくる。そんな作品でした。

 

その想いは消えることなく。
2010年、ついにこの三部作が再演となり、自分と浜谷康幸が参加となります。

その頃の僕ら二人(笑)若い。
自分は当時忘れもしない、34歳で15歳の少年役をやらせてもらいました(汗)
無理がある!って…そこはご愛嬌で(笑)
そしてその頃のうちのリーダーが…

尖っていますね。危ないです。近づくと危険です(笑)
44さんも若い。
この頃に僕らは中島さん作品で苦楽を共にしました。
本当に懐かしい。
ちなみにこの作品は、今回演出の青山さんもご出演されています。
こちらの作品は中島さんが演出もされました。

結局この一本しかご一緒できなかったけど、未だ鮮明にその姿は残っています。
お茶目でどこか掴みどころがなくて、お酒が好きで、お芝居が大好きで、子供のような素敵なおとなでした。
あくまで当時の僕の印象です。
できることなら、またご一緒させてもらいたかった。

 

でも、作家のすてきなところ。
作品は後世に残る。
命を吹き込んだ、自分の子供のような脚本はまた蘇る。
そして、今回…

当時の舞台美術を担当してくれた田中敏恵さんが舞台美術を担当してくださる。
いろんな縁が縁を結び、今回遂にゴツプロ!で中島作品に挑む。

 

そして、実際やってみて、その作品の偉大さに驚愕する。
あのときの自分が読んでいた作品の奥行き…なんと浅かったのか?!
いやはや。
すごい脚本だし、すごい作家だ。
中島さんは一番忙しかった頃にこの『無頼の女房』を書き上げた。
当時年間で7,8本の戯曲を書いていたらしい。
同じ物書きとして信じられない。
懐深く、思慮深く、簡単に吐けるセリフなんてひとつもない。
当然だが。

 

そして、道学先生という劇団をともに作ってきた青山勝さん。

青さんはとても中島さんをリスペクトしている。と、僕は感じている。
だから、セリフの一言一言に拘る。
テニヲハに拘る。
セリフを絶対に変えない。全てをお客サンに聞かせたいと言う。
なんと、素敵なことだろう。

 

そこで僕らは戦う。
戦いボロボロになる。
これまでのゴツプロ!とは少し毛色の違う作風。
そして、今までとは違う演出の持ち味。
必死に食らいつく。
その先にきっと見えてくるなにかがあると信じて。

そしてたまには馬鹿笑いするのだ。

それが芝居だ!!

 

稽古場は戦場だ。
そんな言葉を思い出す。

残りの稽古でどれだけ戦えるか?!
稽古場に忘れものをしないように。
そんなことを思いながら、今この文章を書いている。

 

今回は無頼派と言われた作家の話。
他人事ではない。
身を削り、命を削り、その一言を生み出した文豪たち。
それを支えた家族と仲間。
現在の全てが簡略化された世の中で、この面倒くさい人たちがどう映るのか?
決して捨てたものじゃないはずだ!
面倒なことにときに人は救われるのだ。

 

熱いと言われようが、古いと言われようが、変わらない普遍的なモノ。
人間の成長なんて昔から大して進化はないのだから…

 

きっと令和の『今』みるべき作品なんじゃないかと想う。
中島淳彦が作家として作家を描き、後世に残したこの作品がまた本多劇場にて産声をあげる。
見届けて頂きたい。

【寝ても覚めても稽古の日々。】

 

みなさんこんにちは。
なんだか寒暖差も激しい毎日、お元気にお過ごしですか?
僕らゴツプロ!は絶賛稽古中です。
いよいよ本番まで一週間を切りました。
早いですね。
この前顔合わせだった気がするけど…

※スワイプでアルバム内を移動できます。

(2024年5月2日(木)顔合わせ&読み合わせ。)

 

 

ていうか、この前ビジュアル撮影だった気がするけど…

(2024年1月7日(日)ビジュアル撮影)

 

 

月日は流れるね(汗)
稽古も残り数回です。

 

今月はじめまずは顔合わせ。
毎度緊張しますね。何度やっても慣れません。
お初の共演者の方もいましたし、演出の青山さんも演出家としてご一緒するのは初めてだったので。
でも、やっぱり最初の本読みは痺れる。
活字で読んでいたものに、初めて命が吹き込まれ一気に立ち上がっていく様はなんとも壮観です。
そこから今回は一週間ほどがっつり本読みをやりました。
本読みをじっくりやる演出家さんもいれば、いきなり立ち稽古にはいる演出家さんもいます。
青山さんは前者で、本読みをしっかりやることで、ストーリーの流れ、自分のセリフが誰にかかっていて、どういう意味合いを持っているのか?がはっきりと見えてくる。
これは立ち稽古に入ったときにものすごく助けになります。

 

今回、『劇団道学先生』の座付き作家であった中島淳彦作品をやることになったきっかけについては前月号でも書きましたが、もう少し掘り下げます。
当時、今から20年近く前ですかね、メンバーの44北川氏が自ら演劇ユニットを立ち上げプロデュース公演をやっていました。
そのユニットで、ぼくらメンバーはほぼほぼ出逢っています。
そして、そのきっかけとなった作品が、中島さんの『フツーの生活』戦中・戦後3部作です。
この作品は44さんがそれまで面識もなかった中島さんに懇願して描き下ろしてもらった作品です。
2003年 戦後の宮崎でのフツーの生活
2004年 沖縄戦線最後のガマでのフツーの生活。
2005年 原爆投下前10日間の長崎のフツーの生活。
初演は自分客席から見ておりまして。
ここに出演していたのが、主宰の塚原大助と佐藤正和。
とにかく羨ましかったのを覚えています。
もちろん悲しみがつきまとう作品なのですが、それでも笑いがあり、人が人を想い、滑稽でバカバカしくて、泣けてくる。そんな作品でした。

 

その想いは消えることなく。
2010年、ついにこの三部作が再演となり、自分と浜谷康幸が参加となります。

その頃の僕ら二人(笑)若い。
自分は当時忘れもしない、34歳で15歳の少年役をやらせてもらいました(汗)
無理がある!って…そこはご愛嬌で(笑)
そしてその頃のうちのリーダーが…

尖っていますね。危ないです。近づくと危険です(笑)
44さんも若い。
この頃に僕らは中島さん作品で苦楽を共にしました。
本当に懐かしい。
ちなみにこの作品は、今回演出の青山さんもご出演されています。
こちらの作品は中島さんが演出もされました。

結局この一本しかご一緒できなかったけど、未だ鮮明にその姿は残っています。
お茶目でどこか掴みどころがなくて、お酒が好きで、お芝居が大好きで、子供のような素敵なおとなでした。
あくまで当時の僕の印象です。
できることなら、またご一緒させてもらいたかった。

 

でも、作家のすてきなところ。
作品は後世に残る。
命を吹き込んだ、自分の子供のような脚本はまた蘇る。
そして、今回…

※スワイプでアルバム内を移動できます。

当時の舞台美術を担当してくれた田中敏恵さんが舞台美術を担当してくださる。
いろんな縁が縁を結び、今回遂にゴツプロ!で中島作品に挑む。

 

そして、実際やってみて、その作品の偉大さに驚愕する。
あのときの自分が読んでいた作品の奥行き…なんと浅かったのか?!
いやはや。
すごい脚本だし、すごい作家だ。
中島さんは一番忙しかった頃にこの『無頼の女房』を書き上げた。
当時年間で7,8本の戯曲を書いていたらしい。
同じ物書きとして信じられない。
懐深く、思慮深く、簡単に吐けるセリフなんてひとつもない。
当然だが。

 

そして、道学先生という劇団をともに作ってきた青山勝さん。

青さんはとても中島さんをリスペクトしている。と、僕は感じている。
だから、セリフの一言一言に拘る。
テニヲハに拘る。
セリフを絶対に変えない。全てをお客サンに聞かせたいと言う。
なんと、素敵なことだろう。

 

そこで僕らは戦う。
戦いボロボロになる。
これまでのゴツプロ!とは少し毛色の違う作風。
そして、今までとは違う演出の持ち味。
必死に食らいつく。
その先にきっと見えてくるなにかがあると信じて。

※スワイプでアルバム内を移動できます。

そしてたまには馬鹿笑いするのだ。

それが芝居だ!!

 

稽古場は戦場だ。
そんな言葉を思い出す。

※スワイプでアルバム内を移動できます。

残りの稽古でどれだけ戦えるか?!
稽古場に忘れものをしないように。
そんなことを思いながら、今この文章を書いている。

 

今回は無頼派と言われた作家の話。
他人事ではない。
身を削り、命を削り、その一言を生み出した文豪たち。
それを支えた家族と仲間。
現在の全てが簡略化された世の中で、この面倒くさい人たちがどう映るのか?
決して捨てたものじゃないはずだ!
面倒なことにときに人は救われるのだ。

 

熱いと言われようが、古いと言われようが、変わらない普遍的なモノ。
人間の成長なんて昔から大して進化はないのだから…

 

きっと令和の『今』みるべき作品なんじゃないかと想う。
中島淳彦が作家として作家を描き、後世に残したこの作品がまた本多劇場にて産声をあげる。
見届けて頂きたい。

それぞれの歴史がなかったら…
あのときの熱き想いがなかったら…
悔しさも後悔もしてこなかったら…
時代が回り回ってこなかったら…

 

ぼくらがこの作品を選ぶこともなかったかも知れない?!

 

今回も初日にはmake me meさんから素敵なお花が提供されます。

今回のお花は【テッセン】
「今回の舞台は、作家の坂口安吾とその妻を描いた話、
ということで、相談し、本を読み、考えて、テッセン を提案した。
ものすごく破茶滅茶に生き、散った人。
でも多くの人に愛され助けられたのは、きっと、美しい人だったから。
綺麗な生き方ではなかっただろうが、それも美しさだと。
そしてまた、それを演じる面々も実際、とても破茶滅茶な美しい人。
だから、「精神の美」「心の美しさ」を花言葉に持つテッセンが合うのではないかと。
蔓が絡みつく厄介さも、合うなあなんて。」

 

こういう想いで毎回お花を選んでくれています。
劇場で芝居をみて、帰りにお花をもらって帰路に着く。
この日だけは少し特別な時間と空間で癒やされませんか?

 

演劇がすごい!なんて思いません。
でも、少しばかりの非日常体験はきっと明日の活力になると信じています。
いよいよ幕が上がります。
準備万端にして、本多劇場でお待ちしております。
どうぞ、ごゆっくりとお楽しみください。

 

 

 

つづく…

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、
マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。