10月号 『そして10回目!』

【そして10回目!】

 

みなさんこんにちは。
今月もあっという間に月末です(汗)
すっかり気温もさがり、朝夕は随分寒くなってきましたが、みなさんお元気ですか?
昨日まで北海道に行っておったのですが、朝の気温はなんと4度。
今年はじめての白い吐息に手が悴む体験をしました。
これからどんどんと寒さも増してきますので、流行りの病などお気をつけてお過ごしください。
いやー、10月も終わりますね。今年も残り二ヶ月です。
早いね。
いよいよ来月からは12月公演に向けて稽古もはじまります。
今はそれぞれに準備や、宣伝活動などなど…
そんな中、今月はメンバーの浜谷康幸出演舞台!

鵺的第18回公演「お前の血は汚れているか」
ご来場頂いた皆様、誠にありがとうございました。
いやー鵺的らしい濃厚な人間模様。その中で我らが浜谷さん!主演として全体を引っ張り、熱い想いを心に秘めて静かに強く重く演じてらっしゃいました。

セットも素敵だったな。
そして、演出の寺十吾氏、以前自分も演出を受けたことがありますが、今回も寺十さんらしい緻密な演出と細部に至るまで妥協しない美術と照明と音。
三位一体となり、これぞ舞台空間という素敵な空気感でした。

脚本の高木登さんの本も毎度、人間の嫌なところ、怖いところ、危ういところ、人に見せたくない、見られたくない…そんな部分をこれでもかってほど見せつけてくれる。
それを俳優が見事に躊躇なく演じていて、見ている時はなんとも嫌だなって感情が渦巻き、目を背けたくなるんだけど、いつしかそんなことをすっ飛ばし見入ってしまい、その先が知りたくなる。
いやーお見事。
最後は少しだけ救いがあって…ほんの少しだけ。
でもこの少しだけがちょうどいい。そんなお話でした。

浜谷さん、お疲れ様でした。

そして、今月は我々ゴツプロ!にとってとてもおおきな出来事がありました。
主宰 塚原大助のお母様が、10月12日に他界されました。
突然の訃報。
我々もかなり驚きましたので、大助も相当の驚きだったと思います。
当の塚原大助もSNSなどで報告しておりましたので、ご葬儀にご参列頂いた皆様、そしてたくさんのお悔やみ、励ましのご連絡を頂いたみなさま、本当にありがとうございました。
塚原大助に変わり、御礼申し上げます。
大助の母。
我々ゴツプロ!にとって欠かせない人です。
もちろん大助の母ですから、大助の応援は当たり前ですが、それと同時に我々ゴツプロ!の応援団長であり、一番の理解者であり、一番のファンでした。
どれだけお世話になったことか。
今でも、劇場の客席で大きな拍手をしながら、ハンカチをぐるぐるまわし、誰よりも嬉しそうに楽しそうに笑っておられた姿を鮮明に思い出します。
お母様の口癖。
「やりたい事や、好きな事があって羨ましい。
それが見つかったなら、それに一生懸命に。」
今、勝手に思うことは、お母様にとって、それは大助の頑張りと活躍であり、それを応援することじゃなかったのかなと。
一代で大きな会社を築き、パワフルに力強くその生涯を生き抜いた人生。
尊敬しか言葉が見つかりません。
自分は22歳の時に母が他界しました。
高校卒業と同時に上京し俳優業を目指しました。
今、親となってわかるのは18年間ほぼ毎日顔を合わせていた子どもが急にいなくなる寂しさ。
それがいかほどのことか…
そして、自分は自分が俳優をやっている姿を一度も母に見せられなかった。
今でもずっと後悔しているし、見せたかった想いが強く強く残っています。
だからこそ余計に、大助とお母様の関係をみていて心底羨ましかったし、憧れでもあった。
自分の好きな事をやっている姿を近くで見て、応援してもらえる!こんな嬉しいことはない。
大事な人が亡くなると、もっとああしとけば!こんなことを話しておけば!そんな想いは尽きないけど。
きっと今頃お母様は天国で大助の自慢話をしていると思う。
そして、これからはずっと近くで見守ってくれる。
大助とゴツプロ!を。

 

塚原淳子オーナー。
今まで本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんありがとうございました。
どうか安らかにゆっくりとおやすみください。
感謝の気持ちを胸にこれからも頑張っていきます!

 

たくさんの想いを抱えて第10回目公演に挑みます。

そしてそんな10回目の公演に際し、今月はじめには、ゴツプロ!として初めての試み。
いろんな業界の方をお招きし、プレゼンをさせて頂きました。
素敵な場所をご提供頂き、そこに20名ほどの方々をお招きし、僕らの熱き想いをお伝えしました。

壁に並べた僕らの足跡。
よくもここまできたもんだ。
そして、この先どこまでゆくのやら〜。
そんな指針を主宰の塚原大助が熱く語りました。

大助が初めてパワーポイントを使って資料を作り、プレゼンの内容を考え、熱く語る。
僕らメンバーが聞いていても胸が熱くなるプレゼンでした。
ここで、その一文を掲載させてもらいます。

塚原大助より皆様へ!
「ゴツプロ!は2016年に旗揚げし、今年で9年目になります。私が40歳のときに立ち上げたので私ももう50代手前になり、メンバーのほとんどは50代半ばとなりました。
オジサン劇団で売っていたのが、今では初老軍団となりつつあります。
しかしこの小劇場という日本独特の演劇文化の中で育ち、仲間と共に切磋琢磨し、家族よりも長い時間と、濃密な時間を過ごし、ゴツプロ!という我々にしか創れない世界を追求し、創造し、精一杯広げてきました。
演劇というのは、全く現代にそぐわない代物なのかもしれない。
前もって予約をし、電車に乗って移動し、決して安くないチケット代を払い、劇場という閉ざされた空間の中で、決して座り心地の良くない椅子に座り、2時間の上演時間、携帯の電源は切らされ、私語も慎み、トイレにも行きづらく、ただ黙ってこれから何かが目の前で起きることを待つ。
全く今の時代には反している。
何もかもが便利になり、自分の都合で観たいように観たいときにエンターテインメントを楽しめる現代に、なんて厄介で、贅沢な事をしているのかとつくづく思う。
創る側も、長い時間と労力をかけヘトヘトになるも、手に入る報酬は微々たるもの、よくもここまで20年も30年もこの世界で生きてこれたなと50代を目前に思う。
しかし、演劇には他の芸術にはできない、演劇の力があります。
劇場という非日常の空間に身を委ね、一時的に世間との接触を絶ち、演劇という異空間に身を置く。そこには何か思いを持った生身の人間たちが全身全霊で舞台を駆け巡り、人間に対して、社会に対して、世の中に対して、爆発的に訴えかけてくる。劇場という空間で、役者とオーディエンスの距離感は徐々に縮まり、やがて一体となり、劇場全体がエネルギーに満ち溢れる。
演じる者と観る者が共に舞台を創り上げ、時間と空間、そしてその瞬間を共有する。
困ったことに情熱が全くもって冷めません!
それどころか、演劇界の未来のことまで考えるようになってしまいました。
1960年代から今日まで脈々と受け継がれてきたこの小劇場文化を、今我々の世代が中心となり、継承しながら新たな道を切り開いていく。
台湾は求めています。この日本の小劇場の文化を。
自らの力でサバイブし、クリエイトし、世の中に発言する。その行為は自らのアイデンティティを追求し、曝け出し、共感を呼び起こす。
それこそが世界に発信できる小劇場の文化であり、私たちの誇りです。 今後ゴツプロ!は国内にとどまらず、台湾をはじめアジア諸国に、ゴツプロ!だけではなく、小劇場界の優れた作品を上演できるように動いていきます。
そしてこれからの若い世代が夢と憧れを抱いてこの世界に飛び込んでくるような、そんな小劇場界を築いていきます。
そんな我々ゴツプロ!の活動を多くの方に認知して頂き、そして皆様のご協力を頂き、皆様と一緒にこの壮大なプロジェクトを現実のものとしていければと願っております。」

自分も大助も50歳目前。
まだまだ夢半ば。これからもっと面白くなる。きっとなる。

そうじゃなかったらこんなポスター作らないから(笑)
いい歳こいたおっさんたちのピラミッド!どうですか?
中学生の組体操以来だよ。
「こんなんやったら面白くない?」「とりあえず久しぶりにやってみる?」「誰が一番下?」
「じゃんけんで決めようか?」などなど…
そんな感じでやったピラミッドがまさかポスターになるなんて思ってもなかったよ(笑)

【そして10回目!】

 

みなさんこんにちは。
今月もあっという間に月末です(汗)
すっかり気温もさがり、朝夕は随分寒くなってきましたが、みなさんお元気ですか?
昨日まで北海道に行っておったのですが、朝の気温はなんと4度。
今年はじめての白い吐息に手が悴む体験をしました。
これからどんどんと寒さも増してきますので、流行りの病などお気をつけてお過ごしください。
いやー、10月も終わりますね。今年も残り二ヶ月です。
早いね。
いよいよ来月からは12月公演に向けて稽古もはじまります。
今はそれぞれに準備や、宣伝活動などなど…
そんな中、今月はメンバーの浜谷康幸出演舞台!

鵺的第18回公演「お前の血は汚れているか」
ご来場頂いた皆様、誠にありがとうございました。
いやー鵺的らしい濃厚な人間模様。その中で我らが浜谷さん!主演として全体を引っ張り、熱い想いを心に秘めて静かに強く重く演じてらっしゃいました。

セットも素敵だったな。
そして、演出の寺十吾氏、以前自分も演出を受けたことがありますが、今回も寺十さんらしい緻密な演出と細部に至るまで妥協しない美術と照明と音。
三位一体となり、これぞ舞台空間という素敵な空気感でした。

※スワイプでアルバム内を移動できます。

脚本の高木登さんの本も毎度、人間の嫌なところ、怖いところ、危ういところ、人に見せたくない、見られたくない…そんな部分をこれでもかってほど見せつけてくれる。
それを俳優が見事に躊躇なく演じていて、見ている時はなんとも嫌だなって感情が渦巻き、目を背けたくなるんだけど、いつしかそんなことをすっ飛ばし見入ってしまい、その先が知りたくなる。
いやーお見事。
最後は少しだけ救いがあって…ほんの少しだけ。
でもこの少しだけがちょうどいい。そんなお話でした。

浜谷さん、お疲れ様でした。

そして、今月は我々ゴツプロ!にとってとてもおおきな出来事がありました。
主宰 塚原大助のお母様が、10月12日に他界されました。
突然の訃報。
我々もかなり驚きましたので、大助も相当の驚きだったと思います。
当の塚原大助もSNSなどで報告しておりましたので、ご葬儀にご参列頂いた皆様、そしてたくさんのお悔やみ、励ましのご連絡を頂いたみなさま、本当にありがとうございました。
塚原大助に変わり、御礼申し上げます。
大助の母。
我々ゴツプロ!にとって欠かせない人です。
もちろん大助の母ですから、大助の応援は当たり前ですが、それと同時に我々ゴツプロ!の応援団長であり、一番の理解者であり、一番のファンでした。
どれだけお世話になったことか。
今でも、劇場の客席で大きな拍手をしながら、ハンカチをぐるぐるまわし、誰よりも嬉しそうに楽しそうに笑っておられた姿を鮮明に思い出します。
お母様の口癖。
「やりたい事や、好きな事があって羨ましい。
それが見つかったなら、それに一生懸命に。」
今、勝手に思うことは、お母様にとって、それは大助の頑張りと活躍であり、それを応援することじゃなかったのかなと。
一代で大きな会社を築き、パワフルに力強くその生涯を生き抜いた人生。
尊敬しか言葉が見つかりません。
自分は22歳の時に母が他界しました。
高校卒業と同時に上京し俳優業を目指しました。
今、親となってわかるのは18年間ほぼ毎日顔を合わせていた子どもが急にいなくなる寂しさ。
それがいかほどのことか…
そして、自分は自分が俳優をやっている姿を一度も母に見せられなかった。
今でもずっと後悔しているし、見せたかった想いが強く強く残っています。
だからこそ余計に、大助とお母様の関係をみていて心底羨ましかったし、憧れでもあった。
自分の好きな事をやっている姿を近くで見て、応援してもらえる!こんな嬉しいことはない。
大事な人が亡くなると、もっとああしとけば!こんなことを話しておけば!そんな想いは尽きないけど。
きっと今頃お母様は天国で大助の自慢話をしていると思う。
そして、これからはずっと近くで見守ってくれる。
大助とゴツプロ!を。

 

塚原淳子オーナー。
今まで本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんありがとうございました。
どうか安らかにゆっくりとおやすみください。
感謝の気持ちを胸にこれからも頑張っていきます!

 

たくさんの想いを抱えて第10回目公演に挑みます。

そしてそんな10回目の公演に際し、今月はじめには、ゴツプロ!として初めての試み。
いろんな業界の方をお招きし、プレゼンをさせて頂きました。
素敵な場所をご提供頂き、そこに20名ほどの方々をお招きし、僕らの熱き想いをお伝えしました。

※スワイプでアルバム内を移動できます。

壁に並べた僕らの足跡。
よくもここまできたもんだ。
そして、この先どこまでゆくのやら〜。
そんな指針を主宰の塚原大助が熱く語りました。

※スワイプでアルバム内を移動できます。

大助が初めてパワーポイントを使って資料を作り、プレゼンの内容を考え、熱く語る。
僕らメンバーが聞いていても胸が熱くなるプレゼンでした。
ここで、その一文を掲載させてもらいます。

塚原大助より皆様へ!
「ゴツプロ!は2016年に旗揚げし、今年で9年目になります。私が40歳のときに立ち上げたので私ももう50代手前になり、メンバーのほとんどは50代半ばとなりました。
オジサン劇団で売っていたのが、今では初老軍団となりつつあります。
しかしこの小劇場という日本独特の演劇文化の中で育ち、仲間と共に切磋琢磨し、家族よりも長い時間と、濃密な時間を過ごし、ゴツプロ!という我々にしか創れない世界を追求し、創造し、精一杯広げてきました。
演劇というのは、全く現代にそぐわない代物なのかもしれない。
前もって予約をし、電車に乗って移動し、決して安くないチケット代を払い、劇場という閉ざされた空間の中で、決して座り心地の良くない椅子に座り、2時間の上演時間、携帯の電源は切らされ、私語も慎み、トイレにも行きづらく、ただ黙ってこれから何かが目の前で起きることを待つ。
全く今の時代には反している。
何もかもが便利になり、自分の都合で観たいように観たいときにエンターテインメントを楽しめる現代に、なんて厄介で、贅沢な事をしているのかとつくづく思う。
創る側も、長い時間と労力をかけヘトヘトになるも、手に入る報酬は微々たるもの、よくもここまで20年も30年もこの世界で生きてこれたなと50代を目前に思う。
しかし、演劇には他の芸術にはできない、演劇の力があります。
劇場という非日常の空間に身を委ね、一時的に世間との接触を絶ち、演劇という異空間に身を置く。そこには何か思いを持った生身の人間たちが全身全霊で舞台を駆け巡り、人間に対して、社会に対して、世の中に対して、爆発的に訴えかけてくる。劇場という空間で、役者とオーディエンスの距離感は徐々に縮まり、やがて一体となり、劇場全体がエネルギーに満ち溢れる。
演じる者と観る者が共に舞台を創り上げ、時間と空間、そしてその瞬間を共有する。
困ったことに情熱が全くもって冷めません!
それどころか、演劇界の未来のことまで考えるようになってしまいました。
1960年代から今日まで脈々と受け継がれてきたこの小劇場文化を、今我々の世代が中心となり、継承しながら新たな道を切り開いていく。
台湾は求めています。この日本の小劇場の文化を。
自らの力でサバイブし、クリエイトし、世の中に発言する。その行為は自らのアイデンティティを追求し、曝け出し、共感を呼び起こす。
それこそが世界に発信できる小劇場の文化であり、私たちの誇りです。 今後ゴツプロ!は国内にとどまらず、台湾をはじめアジア諸国に、ゴツプロ!だけではなく、小劇場界の優れた作品を上演できるように動いていきます。
そしてこれからの若い世代が夢と憧れを抱いてこの世界に飛び込んでくるような、そんな小劇場界を築いていきます。
そんな我々ゴツプロ!の活動を多くの方に認知して頂き、そして皆様のご協力を頂き、皆様と一緒にこの壮大なプロジェクトを現実のものとしていければと願っております。」

自分も大助も50歳目前。
まだまだ夢半ば。これからもっと面白くなる。きっとなる。

そうじゃなかったらこんなポスター作らないから(笑)
いい歳こいたおっさんたちのピラミッド!どうですか?
中学生の組体操以来だよ。
「こんなんやったら面白くない?」「とりあえず久しぶりにやってみる?」「誰が一番下?」
「じゃんけんで決めようか?」などなど…
そんな感じでやったピラミッドがまさかポスターになるなんて思ってもなかったよ(笑)

でも、これもゴツプロ!らしいでしょ!
10回目の祭りだから!
たかが10回目、されど10回目。

 

見守り続けてくれたあなたがいなかったら…
応援し続けてくれるあなたがいなかったら…
認めてくれるあなたがいなかったら…
背中を押してくれるあなたがいなかったら…

 

この記念すべき10回目の祭りはなかったかも知れない?!

いよいよ稽古開始!
いざ…

 

 

 

 

 

つづく…

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、
マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。